
2010年04月22日
ワシントンDCでも、連帯集会!
ワシントンDCで、4・25の連帯集会開催です!
日本大使館前でデモ集会!
沖縄タイムスの記事をご紹介!
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-18_5821/
(以下、記事より抜粋)
米軍普天間飛行場の閉鎖と新たな県内基地建設反対を訴えようと、北米を拠点に活動する連帯組織「NO(Network for Okinawa)」が、ワシントンDCの日本大使館前で25日午後2時(現地時間)からデモ集会を開く。
同日、読谷村で開かれる米軍普天間飛行場の県外・国外移設を求める県民大会に合わせたもので、デモが盛んなワシントンでも沖縄の米軍基地問題に関する抗議が行われるのは異例。デモ集会では「No more US Bases in Okinawa(これ以上沖縄に米軍基地はいらない)」を訴える。
日本大使館前でデモ集会!
沖縄タイムスの記事をご紹介!
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-18_5821/
(以下、記事より抜粋)
米軍普天間飛行場の閉鎖と新たな県内基地建設反対を訴えようと、北米を拠点に活動する連帯組織「NO(Network for Okinawa)」が、ワシントンDCの日本大使館前で25日午後2時(現地時間)からデモ集会を開く。
同日、読谷村で開かれる米軍普天間飛行場の県外・国外移設を求める県民大会に合わせたもので、デモが盛んなワシントンでも沖縄の米軍基地問題に関する抗議が行われるのは異例。デモ集会では「No more US Bases in Okinawa(これ以上沖縄に米軍基地はいらない)」を訴える。
Posted by クイナ2号 at 02:51│Comments(1)
この記事へのコメント
北海道札幌市より参加させていただきました。今後、可能なあらゆる方法を用いて、この大会の意義と日本政府がどう対応する必要があるのかを発信して行きたいと思っております。まず帰路の飛行機内で書いた大会印象記を送ります。その一部は本日、琉球新報社にメール送信しました。
「南国にエールを送る北国の黄色い花」
医療九条の会・北海道幹事 医師 堀元 進
県民大会が開催される前日に、まだ春浅き北海道から飛行機を乗り継いで沖縄入りした。珍しく東京で4月に降雪があった今年、北海道では毎日夜間には氷点下近くまで気温が下がる気候が続いている。出発の前夜も山間部では雪の降る天気であった。その様な北国ではあるが例年から遅れる事約二週間、少しづつやっと春の便りが届きつつある。春の訪れを告げるのは、雪解けの季節に残雪を避ける様に出てきた黒土に一番早く咲く花、福寿草である。すぐ近くにはまだ雪が残る。白一色の雪の世界に閉じ込められた寒さに負けず咲く鮮やかな黄色の花。北国生まれの我々は数ヶ月の忍耐の冬がやがて終わりを告げる事を知る。私が沖縄入りした24日は風が強く南国沖縄にしてはかなり肌寒い印象であった。がしかし、一夜明けて大会当日は快晴である。青い空と青い海がキャッチフレーズである沖縄県は意外ではあるが気象データから見ると晴天率は日本の多くの他地域より低めである。幸い県民大会はこの上ない晴天に恵まれた。多くの人が会場目指して歩く。やや小高い丘に位置する運動公園に向かって人波は途切れなく続く。会場に向かう緩やかな登り道に直線となっている所は少なく、何本かの農道も交わっている。ともすれば地図を持たず、その土地の地理に疎い人間には道を見失ってしまってもおかしくはない状況。黄色をまとった人の流れがその行くべき方向を教えてくれる。
会場には溢れる人、人、人。平和な沖縄を取り戻したい願いの洪水である。基地の存在がもたらす数々の災厄を知り尽くした県民が、人間のあるべき形を全世界に発信した崇高な精神と言葉。会場は天を圧していた。今、問われているのは基地の問題だけには全然とどまらない。人間が生きてゆく土地にはその土地の歴史があり家族の物語りが存在する。子供達には夢を持ち、元気に走りまわる大地が必要である。今、世界は歪んで発達した文明によって軍事を中心とした様々な非人間的、非社会的な仕組みを制する事が出来なくなっている。文明の発達は本来は人間の幸福につながるものでなくてはならない。今、世界の多くの土地で理不尽な経済的仕組みでたくさんの人が苦しんでいる。人間が共に苦しみを分かち合い、協力して築いてきた社会には文化がある。会場横には読谷村在住の彫刻家,金城実氏の重厚な作品群が無言で平和の尊さを訴えていた。
今回、沖縄の心が結集して、市民の総体として日本全体、米国を含む全世界に人の命の大切さ、理不尽に奪われている人間の権利の現状を報告し、未来へ希望を持つ為の行動を指し示した。人間の勇気の在り方を斯くも多くの県民が集まる事によって全世界に発信した。その宝をいかに県外在住の人々に伝えてゆくか、その為には可能な方法を総動員し、あらゆる手段を使ってゆく必要がある。沖縄に教えを受けた人間は案外多い。観光で訪れて沖縄の心を持ち帰った人の話を聞く事もしばしばである。若い方たちが修学旅行で沖縄を訪れ、自分達の生きる社会への眼を得た話も良く聞く。東京や大阪で三線が響き渡る沖縄フェスティバルが開かれ、数千人の沖縄ファンが集まる時代である。心ある人達はもう既に動き始めている。私も又、一市民として出来る事から始めたい。戦世を知り、人の命の大切さを知っている沖縄の人々は本当の平和を願っている。今大会はその平和をどの様に作って行くかを市民が示した画期的な出来事であり、人類史上に特筆される快挙であると私は思う。
「南国にエールを送る北国の黄色い花」
医療九条の会・北海道幹事 医師 堀元 進
県民大会が開催される前日に、まだ春浅き北海道から飛行機を乗り継いで沖縄入りした。珍しく東京で4月に降雪があった今年、北海道では毎日夜間には氷点下近くまで気温が下がる気候が続いている。出発の前夜も山間部では雪の降る天気であった。その様な北国ではあるが例年から遅れる事約二週間、少しづつやっと春の便りが届きつつある。春の訪れを告げるのは、雪解けの季節に残雪を避ける様に出てきた黒土に一番早く咲く花、福寿草である。すぐ近くにはまだ雪が残る。白一色の雪の世界に閉じ込められた寒さに負けず咲く鮮やかな黄色の花。北国生まれの我々は数ヶ月の忍耐の冬がやがて終わりを告げる事を知る。私が沖縄入りした24日は風が強く南国沖縄にしてはかなり肌寒い印象であった。がしかし、一夜明けて大会当日は快晴である。青い空と青い海がキャッチフレーズである沖縄県は意外ではあるが気象データから見ると晴天率は日本の多くの他地域より低めである。幸い県民大会はこの上ない晴天に恵まれた。多くの人が会場目指して歩く。やや小高い丘に位置する運動公園に向かって人波は途切れなく続く。会場に向かう緩やかな登り道に直線となっている所は少なく、何本かの農道も交わっている。ともすれば地図を持たず、その土地の地理に疎い人間には道を見失ってしまってもおかしくはない状況。黄色をまとった人の流れがその行くべき方向を教えてくれる。
会場には溢れる人、人、人。平和な沖縄を取り戻したい願いの洪水である。基地の存在がもたらす数々の災厄を知り尽くした県民が、人間のあるべき形を全世界に発信した崇高な精神と言葉。会場は天を圧していた。今、問われているのは基地の問題だけには全然とどまらない。人間が生きてゆく土地にはその土地の歴史があり家族の物語りが存在する。子供達には夢を持ち、元気に走りまわる大地が必要である。今、世界は歪んで発達した文明によって軍事を中心とした様々な非人間的、非社会的な仕組みを制する事が出来なくなっている。文明の発達は本来は人間の幸福につながるものでなくてはならない。今、世界の多くの土地で理不尽な経済的仕組みでたくさんの人が苦しんでいる。人間が共に苦しみを分かち合い、協力して築いてきた社会には文化がある。会場横には読谷村在住の彫刻家,金城実氏の重厚な作品群が無言で平和の尊さを訴えていた。
今回、沖縄の心が結集して、市民の総体として日本全体、米国を含む全世界に人の命の大切さ、理不尽に奪われている人間の権利の現状を報告し、未来へ希望を持つ為の行動を指し示した。人間の勇気の在り方を斯くも多くの県民が集まる事によって全世界に発信した。その宝をいかに県外在住の人々に伝えてゆくか、その為には可能な方法を総動員し、あらゆる手段を使ってゆく必要がある。沖縄に教えを受けた人間は案外多い。観光で訪れて沖縄の心を持ち帰った人の話を聞く事もしばしばである。若い方たちが修学旅行で沖縄を訪れ、自分達の生きる社会への眼を得た話も良く聞く。東京や大阪で三線が響き渡る沖縄フェスティバルが開かれ、数千人の沖縄ファンが集まる時代である。心ある人達はもう既に動き始めている。私も又、一市民として出来る事から始めたい。戦世を知り、人の命の大切さを知っている沖縄の人々は本当の平和を願っている。今大会はその平和をどの様に作って行くかを市民が示した画期的な出来事であり、人類史上に特筆される快挙であると私は思う。
Posted by 堀元 進 at 2010年04月29日 23:01
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